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   <title>大学受験、これでいい？</title>
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   <updated>2008-01-01T13:01:01Z</updated>
   <subtitle>大学受験。人生の大きな節目、その中のひとつであるはずの大学受験。あなたの大学受験は、これでいいですか？</subtitle>
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   <title>日本の大学とアメリカの影響</title>
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   <published>2008-01-01T12:33:39Z</published>
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   <summary>ドイツはこのあと２回の世界大戦を繰り替えし、国の力も弱くなっていって、科学の技術...</summary>
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      ドイツはこのあと２回の世界大戦を繰り替えし、国の力も弱くなっていって、科学の技術は中心をアメリカへと移していきました。

ドイツの大学制度を受け入れられなかった日本も、この後の、イギリスやアメリカの学年制の大学が受け入れられ、役所として、予算を組んだり官僚制度の中でも受け入れられるようになってきました。

この世界大戦の後、日本はアメリカの影響を強く受け、大学にもかなりの影響をうけることとなりました。

教育制度をみても、アメリカの教育制度は、国際基準にまでなっているといえるくらい、各地で大学院制度を取り入れています。

知的な職業を目指す人々は、アメリカに留学をし、経験を積みながら博士号を取得するというステータスに繋がっています。

ここでドイツとアメリカの大きな違いを上げてみると、アメリカにおいては世界一となってからも、常に科学と技術に大きな予算を投じており、そのため向上し続けてきたことがあげられるでしょう。

日本の大学は、ドイツやアメリカの大学のいい所を吸収してきました。

でもそこに問題があるのです。日本の大学には、活気がありません。

日本ではかつて「伊勢詣で」が盛んでした。日常からかけ離れた「世間」を自由に見聞していく、伊勢詣ででは、遊びも、さまざまな知識と経験を得ることのできる許された期間であるといえます。

この「伊勢詣で」に、現在の日本における大学はたとえられるのです。

現在の日本の大学生には「学び」が足りません。

官僚制度におかれているので、大学自体も自発的・内発的な人物を育てていくことができていないという悪循環に陥っているのです。

日本の大学はすべて模倣からのスタートです。

それにアメリカと同様に自分の国の力で技術や科学に投資をしていき、育て、豊かな文明を築いていかなければいけないでしょう。

その土台を作るべき場所が大学なのです。

その大きな役割をこれから果たしていかなければなりません。
      
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   <title>日本の大学の歴史</title>
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   <published>2007-12-31T09:25:37Z</published>
   <updated>2007-12-31T11:01:19Z</updated>
   
   <summary>日本に大学ができたのはいつごろでしょうか？ 欧米より250年以上も遅れて、明治時...</summary>
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      日本に大学ができたのはいつごろでしょうか？

欧米より250年以上も遅れて、明治時代にはいってからできています。

この大学ができる基盤は、明治時代に世界一の国家であるとされているドイツにならっているのです。

フンボルト理念と呼ばれる、２つの教育、研究という要素を持つようになったのは１９世紀のドイツが始まりなのです。

日本には大学ごとの入学試験がありますが、ドイツにはありません。

高校を卒業後に、全大学共通の入学試験があります。

この共通試験に合格すれば、学生は好きな大学の好みの教授のもとで、勉強ができるのです。

学生が自由に選択することができるのです。

大学にいる教授は自分の研究に力を注ぎ最新の研究を行いながら生徒にそれを教えていきます。

大学での講義も教授によって人気がまちまちで、他の大学から引き抜きがあることもしばしばです。

その引き抜きにともなって学生も大学を移動していきます。ほんとうに「自由」な大学のだといえます。

これがドイツの大学の大きな特徴です。

世界においても学問の中心となりました。明治時代には日本の大学もドイツの影響を大きく受けており、人文科学、理学、工学、農学、医学と、自然科学から応用科学まですべてを網羅していました。

特に理学、工学には力をいれており、工学重視をしてきた大学が多かったことが、その後の日本高度成長をもたらしたとも考えらています。

ですが、ドイツの自由な大学制度は、わが国において、官僚制度になじまないという大きな問題を抱えていました。
      
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   <title>これからの大学と日本のあり方</title>
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   <published>2007-12-29T04:59:55Z</published>
   <updated>2007-12-29T05:02:26Z</updated>
   
   <summary>毎日のように何度も似たようなニュースが流れており日本の国民性が大きな原因であると...</summary>
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      毎日のように何度も似たようなニュースが流れており日本の国民性が大きな原因であると考えられています。

日本では、善意から生まれた行動、行為は失敗に終わったとしても責任追及を受けない傾向があります。

反対にその人の心情を汲み取って大目にみて流してしまう風潮があるのです。

これは運命共同体のような日本国民において、契約概念が欠如している、責任感のない人間がどんどん増えていく恐れがあるでしょう。

日本独特の社会においては、責任の所在をはっきりとさせることなく、誰も責任を取らないでいつのまにか済んでしまうといった、信用を崩してしまうことにもなりかねません。

これはいずれ日本国家の国際的な信用も崩していくこととなるかもしれないでしょう。

学生が大学でこれからの将来の希望に向けて一生懸命学習していくことは悪いことではありませんが、勉強だけに力をいれている、現在の弱体化している日本国家はこればかりでは困るということもわかっておいてほしいのです。

これは将来、日本が世界平和に対してどれだけ貢献できるか、日本の経済や人的資源をどう生かしていけるかにもよるのです。

日本の医療を必要としている飢餓や疫病に関する問題もあります。

このような時には、医学、保健学、衛生学を学ぶ学生にとって、診療を行う補助的なボランティアとして、ヒューマン・セキュリティーに取り組むことも可能になるのです。

また、農業や工業技術を必要としている発展途上国もあります。

ライフラインを敷くために、手助けとなる人手がとにかく欲しい国もあります。

私たちは自分が専門に学習している分野の知識を生かしながらこのようなボランティア活動に取り組むことで、自分の持つ視野も広がるのです。

時間を無駄にすることはできません。

自分での将来像を構想しながら、大学時代にいろんな経験と知識を蓄えていき、実現に向けて努力をすべきなのです。

これは私たち個人にとっても、これからの日本の未来にとってもとても重要なことだといえます。
      
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   <title>学生の考え方と日本社会の問題</title>
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   <published>2007-12-28T02:05:48Z</published>
   <updated>2007-12-28T03:01:10Z</updated>
   
   <summary>日本の学生は、最近、実学傾向にあります。 実際にためになるであろう将来の職業、つ...</summary>
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      日本の学生は、最近、実学傾向にあります。

実際にためになるであろう将来の職業、つぶしが利きやすいような学部などを選ぶのです。

例えば、医療系で、医学・薬学・歯学・看護学など、建築士や栄養士、福祉士などの専門的な分野の職業、そういった資格を取るための学部学科、また、公務員は法学部や商学部、経済学部から職業を選択しています。

理系の学部に所属している学生は、将来の職業と直結している学問であるために、身に着けていく技術や知識を最大限に生かせる就職が可能となります。

さらにこのあと大学院へと進むことにより、より高度な技術や知識を身につけることができ、博士や学者、教授などの教職といった就職活動をする際の幅が大幅に広がるといえます。

このことでわかるように、大学を受験してくる学生は、大学を職業訓練のための専門学校、資格取得の場だと捉える生徒が非常に多いといえます。

実際問題として、将来の安定性を得るほうが重要であると認識されており、大学生活を有意義に勉強のためだけに費やす場ではないと考えられています。

このような学生の考え方には現在の日本における社会の問題が浮き彫りとされている現れでもあります。

日本は不況が続き、経済の行方が不安です。

実際社会をみてみると、諸省庁においても閣僚達がさまざまな汚職をし、隠ぺい工作、無責任ななすりつけ体制が毎日のようにマスコミで取り上げられています。

この問題は公共の機関だけではありません。

民間の企業においても同じような問題が多く発生しているのです。
      
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   <title>大学での学びとヒューマン・セキュリティー</title>
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   <published>2007-12-26T04:04:12Z</published>
   <updated>2007-12-26T05:00:51Z</updated>
   
   <summary>「人間の安全保障」を、ヒューマン・セキュリティーといいます。 これは私たちが社会...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.dai-gaku.com/">
      「人間の安全保障」を、ヒューマン・セキュリティーといいます。

これは私たちが社会において一員として生きていくうえで大切なものです。

ヒューマン・セキュリティーの意義は、人間にとって大切なのは命だということ。現在世界の多くの人々にヒューマン・セキュリティーが脅かされています。

貧困や飢餓に苦しむ発展途上国の人々や、部族紛争のアフリカ・中央アジア・ユーゴスラビアやソ連、また先進国では小さい子供にまで売春やドラッグの蔓延、暴力組織による武器の密売など、数多くの問題があります。

このヒューマン・セキュリティーは大学において学ぶ科目のほとんどのものに関わっています。

１つ目は、人権の保障です。これは法律、哲学などとつながりがあります。

２つ目は、開発です。国家開発は、学習してみると経済学や社会学などへ発展しています。

３つ目は、環境です。開発が進めば進むにつれて私たちの住む環境は脅かされ続けていくのです。

これらの部分は社会学、人類学、生物学などと関係が深いとされています。

４つ目は人間にとっての安全保障です。

これらのように開発や環境問題をみてみると、現在の世界の情勢からわかるように、個人の人権、個人の安全保障問題へとつながっていきます。

すべての学問につながるヒューマン・セキュリティーは、すべての社会現象を含んでいる大きなカテゴリーだといえます。

大学で学ぶ学生は勉強をしている中からヒューマン・セキュリティーを感じ取っていくことができます。

これまでの損得勘定の精神を改めて、何が道徳か、正義か、公正かといった問題を教育を受けていく上でのカリキュラムに組み込んでいくことがこれからの大きな課題だといえます。
      
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   <title>大学受験と人間形成</title>
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   <published>2007-12-25T08:40:08Z</published>
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   <summary>他人と関わりがまったくない状態で生活を送ることは不可能です。 私たちはいつでも社...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.dai-gaku.com/">
      他人と関わりがまったくない状態で生活を送ることは不可能です。

私たちはいつでも社会の中の一人です。

これは、規則、規範、社会のルールなどに従うべく人間として当たり前のことなのです。

しかし、最近では、この当たり前のルールが乱されています。

特に若い年齢層の人たちには、ルールをまったく無視したり、ルールからはみ出したりする風潮が見受けられます。

これは、日本が持つ学歴社会を背景にみていくことができます。

現在の日本の学生は、最終的な学歴を高くもつために、よりよい大学へ進むことを最終目標としています。

そのため、よい大学へ入るための学力をつけるため偏差値を上げることに全力を注いでいます。

受験参考書をみてみると、覚えておくべき箇所がすべて丁寧に記され、勉強がしやすいように作ってあります。

これはすべての人が同じように感じながら学んでいき、同じ程度の知識をもてば希望のレベルの大学へ進むことができるということです。

ここには個性化はありえないのです。

昔の学習方法では、自分で本を読み、重要だと思う箇所を自分で情報を集め習得していくというものでした。

重要な箇所は、１００人いれば１００通りの見解があったはずです。

ですが、現在の大学受験には、必要な箇所だけ勉強をする、必要ないものは切り捨てる、無駄な時間をとらなくてすむように、損か得かを勘定するだけの人間を形成してしまっているのです。

これは、自分がいつも損得だけを考えるようになってしまい、損をすることはしない、自分に得になることだけをする、といった考えになってしまっています。

ここでは、どんな行動が正義で、他人に対する思いやりで行う行動は損になる、など、思いやりの観念がずれてしまい欠落しているようです。
      
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   <title>大学で人生の土台を築く</title>
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   <published>2007-12-24T09:41:29Z</published>
   <updated>2007-12-24T11:02:14Z</updated>
   
   <summary>人は生きていくうえで、気持ちよく人間関係を築き、道徳や知恵を身につけていかなけれ...</summary>
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      人は生きていくうえで、気持ちよく人間関係を築き、道徳や知恵を身につけていかなければなりません。

これは社会に生きていくために身に着けておくべきことです。

現在では、かなりの科学進歩がみられますが、人間の持つ心については、科学で解明はできないでしょう。

人には個性があり、パターン化されるものでもなく、人それぞれ価値観も違うからです。

ある人には常識的なことであっても、すべての人に通じるのではないということです。

この道徳感はそだった環境などにも左右されます。

私たちが人間社会において、常識的に気持ちよく快適に生きていくためには、どれだけ、人の心を考え重視して生きていけるかにもよるでしょう。

このような心の部分にある引き出しを充実させる場が大学だといえます。

大学時代には、さまざまな勉強、課外活動、いろんな人が行う講義、勉強と離れた活動、これらによって、人格を形成していき、人と接する方法、社会においての自分のあり方など、学ぶ時期でもあります。

人間関係は、社会にでて一番苦労するものでもあります。

なぜなら、自分の希望する就職ができたとしても、その職場での人間関係、上司との関わり、仕事をしていくうえで顧客との対応の仕方など、実に悩まされることが多いのです。

大学時代でももちろん人間関係は大切です。

周りに流されたり、打算で自分の行動を決める必要もありません。

これから先の見返りのために、行動をしなくてもいいのです。

自分のもつ能力を信じるだけで、やりたいこと、いろんな活動を集中してやることができるのも大学なのです。

このすばらしい時間が持てる大学で、心に引き出しをいっぱい作ってください。

広い視野を持てるよう日々生活してください。

後悔することのないよう、思いっきりやれるのはやはり大学ならではです。

大学時代には、自分の人生を築くための土台を固める大切な時期だといえるでしょう。
      
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   <title>隠れた適正、能力</title>
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   <published>2007-12-22T07:44:58Z</published>
   <updated>2007-12-22T09:00:59Z</updated>
   
   <summary>現在のものの見方では、人の性格で、情緒的な物分りのよい、性格的にも包容力がある人...</summary>
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      現在のものの見方では、人の性格で、情緒的な物分りのよい、性格的にも包容力がある人を文系人間とみたり、物分りも悪い、あたまコチコチで理屈っぽい理論ばかりの人間を理系人間としてしまうことも間違っています。

この性格で、人を文系・理系に分けてしまうこともそもそも間違っています。

わが国においては、論理的にものを見る人間は疎ましがられてしまい、義理人情を尊ぶ風潮があるようです。

このようなことは、日本がさまざまな国家間での交渉においても同じことが言えます。

このような要素を持つ日本人は損をしてしまうのです。

ここで大切なのは、自分がどの分野の勉強を励みたいのか、自分が理系なのか文系なのかを自分自身が理解し、「選択」できる環境を作ることが大事でしょう。

諺にもあるとおり、自分の好きなものを努力していけば必ず身についく、「好きこそものの上手なれ」といわれています。

ですが忘れてはいけないことに、好きだけでは何も上達しません。

また、不思議なことに、自分がよく理解できているものには、興味をもてなかったり、関心がいかなかったりします。

逆に自分がしらないこと、わからないことに引かれていき、持っている適性とはかけ離れたものへ関心がいってしまう傾向があります。

私たちが大学へ入学した際に、そのときの「選択」がどうであったにしろ、とにかく一生懸命努力していくことは大切です。

人はみな人生一度切りなのです。

自分がもつ隠れた能力を見つけ出し、引き出すために、常に努力することを忘れず、視野を広く持ち続けなければなりません。
      
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   <title>偏差値？肝心な「選択」は？</title>
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   <published>2007-12-21T11:29:07Z</published>
   <updated>2007-12-21T13:01:08Z</updated>
   
   <summary>大学を選ぶ場合に、文系にしようか、理系にしようか、学部、学科はどうすべきか、など...</summary>
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      大学を選ぶ場合に、文系にしようか、理系にしようか、学部、学科はどうすべきか、などといったさまざまな「選択」が求められます。

高校時代にもある程度の選択が問われる場合もありますが、基本的に学校で準備されている時間割が中心となって授業は進められていきます。

これが、大学になると、どのような選択をして、何を勉強するか、どのように時間を使うかなど、すべてのことを自分の判断で決めることができるのです。

これほど自由な場を設けてあるにも関わらず、せっかくの大学生活を有意義に時間を利用して活用できている学生は意外と少ないでしょう。

なぜなら、大学受験の時代に自分の好きなこと、適正に気づき学部や学科を選択できている人は非常に少ないと考えられるからです。

高校生は、人生経験もさほどないのに、大学受験の際には、学部や学科をきめて、コースまで絞って受験をしなければいけないという、現在の大学入試制度に重大な問題があるといえます。

ただ単に目標とする大学の合格水準まで偏差値を上げることに力が注がれており、肝心な「選択」する学部の中身をよく理解できてないままに目標としています。

現在の大学入試制度は、個人の偏差値にあわせて、大学や学部、学科を選択するという逆からの選択という現象が起こっているのです。

つまり、この偏差値だとこの大学には入れるだろう、こっちよりもこの大学のほうが難関だからこっちを受験するといった、内容重視ではなく、見栄だけの選択になっているといえます。

適正な能力に応じた選択がなされていないのです。
      
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   <title>心の糧を見出す</title>
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   <published>2007-12-19T12:13:24Z</published>
   <updated>2007-12-19T13:00:58Z</updated>
   
   <summary>現在行われている大学入試試験では、知識を試す問題がほとんどです。 大学に入学する...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.dai-gaku.com/">
      現在行われている大学入試試験では、知識を試す問題がほとんどです。

大学に入学するため、受験に合格するためには私たちは勉強をし、知識を得なければなりません。

現在の大学受験の現状は知識をもつものが合格するという仕組みになっています。

いざ大学に合格し、入学をすると、これまで頑張ってきた受験のための知識をえるためだけの勉強から一変してしまうので、何を目的として勉強したらいいのかわからなくなってしまう学生が大勢いるのです。

積極的に学ぼうとしない学生は、自由にアルバイトをしたりサークル活動をしたりと、趣味も豊富でかなり自由なのです。

これまでの義務としてやっていた勉強から開放されて、これからは目的をもって勉強ができるのです。

義務でやるだけの勉強は自分のためにならず意味がないのです。

大学に入学してからの自由な時間をどのように活用し、上手に使ったかが、その後の人生を大きく変えていくでしょう。

充実度もまったく違ってきます。ここで、たった一度きりのひとりに与えられた時間、限られた時間ですが、どのように使っていくかが、人生を大きく変えるのです。

自分を築いていく大切なときだといえます。

自分がもつ可能性を信じながら、しっかりと目標をみさだめ有効に時間を使っていかなければ、時間は無常にも過ぎ去っていくだけになってしまいます。

大学へいったら、心の糧を見つけるようにしてください。

何かを成し遂げるときには、目標を立てるようにしましょう。

目標は、努力し、挫折し、また新しく生じていきます。

これが人生の指針となるのです。

自分を信じ、失敗を恐れずに一歩一歩を着実に歩いていきましょう。

途中、何度も挫折をしたとしても、頑張った努力は、必ず自分自身の心の糧となって、知恵となり身について力になります。

この力がこれからの人生の長さの源となるでしょう。
      
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   <title>出会いを有益なものにするためには</title>
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   <published>2007-12-18T07:04:57Z</published>
   <updated>2007-12-18T09:00:56Z</updated>
   
   <summary>人間は、世間とのつながりを増やしていく手段として、「出会い」があります。 人と人...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.dai-gaku.com/">
      人間は、世間とのつながりを増やしていく手段として、「出会い」があります。

人と人が出会うことで、また次の出会いがあり、より多くの信頼できる世間とのつながりを持ちたいと思うのは人間としての心理として、当然のことでしょう。

有名大学といわれる大学が日本にも数多くあります。

私たちは誰もが良く知っている評判のよい一流大学へ入学することは、これから先に社会で生活していく上での力強いパイプを手にしたことにもなるわけです。

誰もが知っている有名大学であるというだけで、一般の人からみると、あの大学出身の人だったら、どうだとか、あそこを出てる人だったらこうだとか、評判があるでしょう。

また就職するにあたり、専門的な分野の強い大学に入学するということは、その後の就職にかなりの影響を与えてしまうということも事実です。

ですがここで気をつけておかなければいけないことがあります。こういった有名大学に入学をした場合、知らないうちにプライドを捨てるということです。

自分が所属している大学が有名であれば、自分を自負してしまい、レベルも一定以上のものがあるため「世間」に対しても、自分が一定レベル以上のつながりを持っていると思い込んでしまうからです。

このような考え方は、私たちの視野を狭くするだけでなく、限定的な限られたものの見方にしてしまうことがあります。

このようなことは、これから起こるであろう運命的な出会いに対しても自ら排除してしまうことにもなりかねません。

「出会い」と「教養」は大学生活でもっとも大切なことです。これから大学で生活をしていく上で充実した毎日を過ごしていくための人間との出会い。

友人であったり、教授であるかもしれません。

特に自分の興味ある分野の教授の元へは、積極的に足を運ぶでしょう。こうした積極性も大切です。

偶然であり運命的な人との出会いを自分がどう生かしていけるかどうかは、自分自身の出会いに対する考え方でもあり、捉えることができていくかが大事な点だといえます。

これからの出会いを自分にとって有益なものとしていく努力が必要になるでしょう。

そして、有益な出会いは積極的に受け入れるようにしましょう。
      
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   <title>人との出会い</title>
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   <published>2007-12-16T00:59:42Z</published>
   <updated>2007-12-16T01:00:50Z</updated>
   
   <summary>大学へ進学するといろんな人との出会いがあります。この出会いは一生過ごす上で大切な...</summary>
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      大学へ進学するといろんな人との出会いがあります。この出会いは一生過ごす上で大切な財産となります。

高校を卒業し、大学へ入学すると、いろんな人に出会います。

大学の学長、学部長、教授、助教授、講師、新入生、先輩方、これらの人々に出会うのはまったくの偶然です。

この中には日本全国北海道から沖縄まで、いたるところからの人々がいます。

さらには外国からの留学生と知り合う機会もあるかもしれません。

先生方でも同じです。

企業からの講師で来ている人もあるかもしれません。

これらの出会いは自分で選んで出会ったものではなく、運命的な偶然の出会いであると言っていいでしょう。

ここで、この出会いを私たちはどう生かしていくか、その出会いを自分がどう感じるか、こういったことを考えていくことはとても重要なことです。

私がこれまでに話して印象に残っている言葉で、ある学生さんがこう話してくれました。

「学生が、勉強をしていくうえで大事なことは、学生自信が進んでやることであって、先生が教えるものではない。

その場にいて勉強をサポートする存在だ。

それから、大学を卒業するためだけに履修科目を決めてやるのではなく、自分自身がこの科目は誰にも負けないという懸命に頑張った結果を、学習の成果として残していってほしい。」この言葉をきいて、あなたはどのように感じましたか？

どんな風に胸に響いたでしょうか？

この言葉は、一生忘れられない、胸をつくような言葉との出会いだと気づくことができたでしょうか？
      
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   <title>これからの将来</title>
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   <published>2007-12-15T06:54:46Z</published>
   <updated>2007-12-15T07:01:46Z</updated>
   
   <summary>「志望動機」を夢や希望だけで終わらせない努力が必要です。 自分にとっては非常に困...</summary>
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      「志望動機」を夢や希望だけで終わらせない努力が必要です。

自分にとっては非常に困難なものかもしれません。

単に「難しいから」「面倒だから」などとあきらめてしまっていては、実現することは難しいでしょう。

それで終わらせないためにも努力をしていくことが大切です。
これには、立ち向かう勇気と、必ず実現させるという強い意志を持ち、挑戦し頑張り続けることが大切です。

自分の前にどのような困難な 壁があっても強い意志をもって挑戦していきましょう。

ですが、途中で挫折してしまい、失敗したとしても、それまでどうして挫折にいたったのか、自分には何が足りないので挫折、失敗してしまったのかを考え、改善していくことによってうまくいくための手段がみえてきます。

こうした努力をしていく中で人は成長することができ、自己の実現へとつながっていきます。

こうした努力をすることで、必ず結果があとについてきます。

最初の目標がうまく達成できたころには、また次に新しい「志望動機」が生まれてきます。

こうやって次から次へと自分をみつけていくのです。

この繰り返しが、「自己紹介」、「志望動機」を常に自分へ問いかけていきながら自分自身を成長させていく手段となるでしょう。

「志望動機」をいつも持ち続けていることで、これまでに自分が思ってもみなかった能力が備わっていたことに気がつくこともあります。

新しい素質、資質を見つけ出すことができ、人間が成長していくことになるでしょう。

ここでは、大学時代に限って説明しましたが、高校生時代や社会にでてからでも求められています。

人間として生きている限り、チャレンジする気持ちは常に持ち続けましょう。

何かを学ぶ姿勢も大切です。

私たちが平等に与えられている人生においての時間で、いろんな多くの経験をし、努力をしていくことで、自己実現から、自己改革へとすすみ、新しい生き方、自分にあった生き方を探し出しましょう。

これからの未来を自分が持つ理想のものにできるかは、わかりません。

でもこのことは自分自身の努力にかかっているということを忘れないようにしましょう。
      
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   <title>大学は自分発見の場</title>
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   <published>2007-12-13T05:52:56Z</published>
   <updated>2007-12-13T07:01:03Z</updated>
   
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      「自己紹介」「志望動機」といわれたら、あなたはすぐに答えられるでしょうか？

これは就職活動のときだけに限らず一生考えていくべき事柄だといえます。

人間は生きている間じゅう、自分を理解していなければなりません。

常に自己発見に努めていることはとても大切なことです。

子供の頃、ただなんとなく学校へ通っている時期、大人になり生活のためにただひたすら仕事を頑張る時期、これらの時期とは違い大学時代は、自分を見つめるための非常に良い時期だといえます。

私たちは現在のこと、過去のことはわかりますが、誰一人としてこれから起こる将来、未来を予知することは不可能です。

これ故、人が将来のことについて、考え、思いをめぐらせ、悩んだり、不安になるのは当然な事だといえます。

不安になるのはだれしも同じです。

ですが、ここで若いという大きな武器があることを忘れてはなりません。

なぜなら、若いと自分のやりたいこと、可能性に賭け、思い切り努力をし、ぶつかっていくことができるからです。

大学ですごく4年間で、何か自分ができそうか見えてくるかもしれません。

そこにはいろんな学問に出会うことができます。

それに同じ目標を持つ人々もいるでしょう。いろんな経験をすることで、自分に向いてるものが何か、糸口がつかめるかもしれないのです。

大学で出会う経験は、偶然の産物です。その中には、自分の人生を大きく変えてしまうほど影響を及ぼすものがあるかもしれないのです。

自分発見の場であるといえるでしょう。

これらのことから、自分はいったい何をやりたいのか、どうしていきたいのかがみえてきて、「志望動機」が生まれてきます。

これが自分発見、自己発見です。
      
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   <title>私的教養を学ぶ</title>
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   <published>2007-12-12T07:21:27Z</published>
   <updated>2007-12-12T09:01:10Z</updated>
   
   <summary>幼い子供を落語や、歌舞伎につれていくことで、親は子供に落語のフレーズを覚えさせる...</summary>
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      幼い子供を落語や、歌舞伎につれていくことで、親は子供に落語のフレーズを覚えさせることを教育の１つとしていました。

落語や歌舞伎には、日常の１シーンを凝縮し表現することで、知らず知らずに人生の縮図や、基礎を理解し、人情を学ぶことができます。

「教養」をより豊かにすることは、物事に対する表現を豊かにすることでもあります。

これらの私的な「教養」は、学校で学ぶ数学や科学などのように公的な知識として学ぶものとは違い勉強をすれば即身について理解できるというものではないでしょう。

こういった私的な「教養」は、私たちの人生で、感受性の強いときに出会って、しらないうちに、自然とみについていくものなのです。

人によってその出会いはさまざまです。

個人の置かれている環境、時間的なものも違うからです。

大学では、同じものに興味をもつ人が集まり、関心をもつ同じ年代の仲間が多いので、その場所で議論することは、この「教養」が育まれていく絶好の環境であることがわかります。

大学において培われる私的な「教養」は、私たち一人ひとりにとって生涯の財産となるでしょう。

そこで養われた教養は、これからの人生、日常生活の中で絶えず引用されていき、使われることで、また新たな命が吹き込まれていき、これからも絶え間なく行き続けていくでしょう。

私的教養を学ぶ大学を大いに活用しましょう。
      
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