大学の授業に、日本人が苦手としている「ディベート」を授業の1つとして取り入れるべきであると考えられています。
日本社会では「批判する」ことはよくないことだと一般的に認識されているようです。
思春期などに芽生える自我による反抗、「反抗期」と呼ばれるものは、ここでいう知的な反抗である、「批判」とは、まったく別なものだと考えてください。
反対に、学会などにおいて、批判的であるのは、歓迎されるのです。
グローバル化していっている世界において、活躍していくには、この「ディベート」は、なくてはならないものなのです。
日本の学生にもこのような環境を与えて、積極的に批判しあう、討論しあう環境を与えるべきです。
結論よりも、それにいたった過程が大切なのです。
大切なのは、遠慮することなく意見を交わしあって、みんなで論議する、討論してみる、そのあと結論を出すということです。
これが「学び」の本来の姿です。
人間は人それぞれ生まれたときから異なった人生を歩み始めます。
自分は一人だけ、これまでも、これからも、同じ人間は存在しないのです。
大学での「学び」で、私たちはどんなことがこれからできるのか、自分は何をやるべきなのか、そして、これからどのような人生をいきていくのかを見極めることが重要になるのです。
そもそも大学は社会のためになる人を育てるところではありません。
人材育成を行うための場所でもないのです。
大学へ進学する学生ひとりひとりが「学ぶ」意味を間違えないよう、自分自身を大きく育てる場であることを認識しておくことが大切です。
大学での「学び」を生かして、これから人生をどのように生きていくか、またこの時期の学びがどれだけ人生を左右してしまうかともいえるでしょう。
教養とは?
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